◆山崎拓『YKK秘録』を読み解く

◆山崎拓『YKK秘録』を読み解く

※要旨

・私は議員になってからずっと、
衆議院手帖に首相をはじめ閣僚らと交わした会話、
相手の様子などを細かく要領筆記してきた。

・秘密会合の場所から、
会話や態度に感じられる思惑まで、
自分でも驚くほど細かく記してきた。

・これらのほぼ正確な事実は、
同時に近現代政治史における生の資料になると考え、
ここに「秘録」として公開することにした。

・YKK誕生。
1990年、大晦日の夜、
加藤紘一より電話があった。

「われわれも当選回数を重ねて一応大臣にもなった。
党のこと、国家のことを腹蔵なく話し合える政界の同志作りをしたい」

というので、
「どういう顔ぶれにするかな」
と私が聞いたら、

「中曽根派の拓さんと宏池会の僕のほかに、
清和会から一人選んで、三派で反経世会グループを作ろう」

という提案だった。

・1991年1月25日、
衆議院本会議場で、机を並べている加藤から、
「例の話だが、清和会は、当選同期でわれわれと同年輩は、
小泉純一郎しかいないぞ」

と言われたので、

「小泉はエキセントリックな男だから、話が合わないよ」
と私は答えた。

・加藤は、「じゃあ本人に聞いてくる」
と言って、少し離れた小泉の元に行った。
すぐに戻ってきて、

「本人に『君はエキセントリックだと拓さんが言っているが本当か』
と聞いたら、小泉は、
『そうだよ、俺はエキセントリックだよ』
と言った。

面白い男だ。ぜひ仲間にしよう」
と言うので、
私も「ほかにいないから、そうするか」
と仕方なく言った。

・そして、その晩のうちに、
赤坂の料亭「金龍」に集まり、
杯を交わし「経世会支配打破」を誓った。

・小泉首相の政局運営のカンは抜群だった。

・加藤紘一は長く「政界のプリンス」といわれたが、
ついにキングになることができなかった。
悲劇的だったのは「加藤の乱」の失敗だった。

・原因は野党との結託という禁じ手をつかったことにあるとしても、
正直なところは懸命にモラルサポートした私にも
責任があると思っている。

・本人もさることながら私も政治的未熟さを露呈して
的確なリードができなかったことを
申し訳なく思うところだ。

・今にして思えば、土台無理な試みだった。
2人とも経験不足なうえに焦り過ぎだった。

慎重すぎてもことを成せないが、
冷静沈着、用意周到でなければ
荒っぽい仕事は成就しえないことを悟らされた。

※コメント
かなり、詳細に内部事情が書かれておもしろい。
新聞には出てこない、裏話があり、
いろいろと勉強になる。

★山崎拓『YKK秘録』
の詳細,amazon購入はこちら↓

http://amzn.to/2bnkI7z

◆VX集客マーケティング、youtube戦略。

http://directlink.jp/tracking/af/237165/qlnmIT1d-HgKReDnk/

・人気動画のアクセスを利用した集客のウラ戦略

・YouTube悪用者が摘発されてできた巨大な利用価値

・長期的に利益を生み続ける参入ジャンルとパターン

・YouTubeの見込み客向けの特殊なセールスフロー

・一年で日本全国に5000名以上のファンを
創った某ボイストレーナー&音楽アーティスト

◆特報・小冊子PDF『ハイレベル恋愛術』ご案内。

★恋愛論について詳しく知りたい方々へ

PDF版小冊子 『ハイレベル恋愛術』
をご提供いたします。

残りわずかとなった夏。
勝負をかけてみませんか。

※お申込みフォーム↓

https://ws.formzu.net/fgen/S9762224/

コメントは受け付けていません。

このページの先頭へ