「外国人労働者は移民ではない」日本はドイツの失敗を直視せよ

テーマ:「移民法案」このままで大丈夫か。
外国人労働者の受け入れ拡大を図る出入国管理法改正案が衆院を通過した。案はこれまで認めなかった単純労働を容認し、実質的に外国人の永住に道を開く内容である。事実上の「移民法案」とも揶揄され、将来に禍根を残しかねない。労働市場の人手不足が大義名分とはいえ、なぜ急ぐ必要があるのか。

「外国人労働者は移民ではない」日本はドイツの失敗を直視せよ

『雨宮紫苑』 2018/11/28

雨宮紫苑(ドイツ在住フリーライター)
 
 日本に一時帰国するたびに、働いている外国人を見かける回数が明らかに増えている。
 
 羽田空港国際線の免税店では、資生堂の販売員も、酒類の販売員も、レジ係も、みんな外国人だった。
 
銀座のアップルショップでも対応してくれたのは外国人販売員。
 
居酒屋やコンビニ、スーパーや回転寿司といった場所でも、言葉のイントネーションや見た目、名前から、外国人と思われる人と日常的に遭遇した。
 
 外国人労働者数を調べてみると、10年前の2008年は約49万人だったが、17年は約128万人と年々増加しているらしい。
 
外国人を見かけることが多くなったのも、当然といえば当然である。
 
 しかし不思議なのが、日本で語られるのは主に「外国人労働者」についてであって、「移民」については全くといっていいほど言及されていないことだ。
 
 国連広報センターによると、「国際(国境を越えた)移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、本来の居住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意」しているのだそうだ。
 
ちなみに移民の移動の形として、移住労働者や出稼ぎなどを例として含めている。
 
 つまり、居住地を海外に変更し、変更先に一定期間住んでいれば、現地で仕事をしていようが留学していようが『移民』と認識できるわけだ。
 
 一方、日本の定義は違う。
 
自民党は「『移民』とは、入国の時点でいわゆる永住権を有する者であり、就労目的の在留資格による受け入れは『移民』には当たらない」としている。
2018年10月の自民党厚労部会がまとめた外国人受け入れに関する決議の内容を法務部会で説明する小泉進次郎部会長。左は長谷川法務部会長(春名中撮影)
2018年10月の自民党厚労部会がまとめた外国人受け入れに関する決議の内容を法務部会で説明する小泉進次郎部会長。左は長谷川法務部会長(春名中撮影)
 
 しかし、このまま「外国人労働者は移民ではない」と言い張っていいのだろうか。
 
日本が戦後ドイツの歴史をなぞっているように思えて、どうしても危機感を覚えてしまう。
 
 
「手遅れになったドイツ」
 
 ドイツが現在、移民と難民問題で揺れているのは周知の事実だ。
 
2018年10月、メルケル首相が率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は南部バイエルン州と西部ヘッセン州の地方選で得票率を大きく落とし、メルケル首相は21年に政界を引退することを発表した。
 
難民政策の失敗が大きく影響しているのは、言うまでもない。
 
移民や難民の受け入れは、ドイツにおいて最も関心度が高い政治テーマの一つだ。
 
 とはいえ、ドイツの外国人受け入れについてのニュースが日本で大々的に報じられるようになったのは15年の難民危機以降である。
 
もしかしたら、「それまではうまくやっていたのに一度に大量の難民が押し寄せてきたからパンクしたんだろう」と思っている人もいるかもしれない。
 
 しかし、歴史を振り返ってみれば、決してそういうわけではないことが分かる。
 
ドイツの外国人受け入れ政策の失敗の一つに「外国人労働者を移民と認めなかったこと」が挙げられるからだ。
 
 旧西ドイツは、戦後の人口増加が緩やかだった上に、戦死者が多く、経済成長に伴い人手不足に陥った。
 
労働時間短縮や有給休暇制度の改善を求める権利闘争が盛んになったこともあり、外国人を「ガストアルバイター」として受け入れ始める。
 
ガスト=ゲスト、アルバイター=ワーカー。
 
分かりやすく訳せば、助っ人外国人である。
 
 彼らは安く雇用できる上に、本国に仕送りするためによく働いてくれるし、ドイツ人がやりたくない仕事もやってくれる。
 
便利も便利、超便利である。
 
 ガストアルバイターはあくまで「一定期間ドイツに出稼ぎに来ている人」だから、1960年代はまだ「ドイツは移民国家ではない」というのが共通認識だった。
 
しかし、ドイツの予想を裏切り、ガストアルバイターの多くは家族を呼び寄せたり現地で結婚したりして、ドイツに定住することになる。
 
 1973年に一度外国人労働者の受け入れを停止するが、その後再び人手不足に陥り、受け入れを再開。
 
2000年、ドイツの総労働力人口における外国人の割合は8・8%で、人口の7・3%が外国人という状況だった。
 
 21世紀になって少ししてから、ドイツはやっと「移民国家」としての舵を切る。
 
ドイツ語教育やドイツの社会、歴史などを学ぶ市民教育を統合講習として受講を義務化し、移民の社会統合を目指し始めたのだ。
2018年10月、ベルリンで記者会見するドイツのメルケル首相(ゲッティ=共同)
2018年10月、ベルリンで記者会見するドイツのメルケル首相(ゲッティ=共同)
 
 しかし、時すでに遅し。すでにドイツ人と外国人(移民背景がある人たち)の収入格差や学歴格差、言語の壁や宗教問題など、課題は山積みになっていた。
 
 15年に大量の難民を受け入れたことで、ドイツが混乱したのは事実だが、それはあくまできっかけにすぎない。
 
移民とそうでない人との間にある火種は、15年に突然生まれたものではなく、それよりも前にくすぶっていたのだ。
 
 ドイツと同じ轍を踏む?
 
しかし興味深いのは、これほど多くの外国人を受け入れたのに、ドイツは2018年10月、欧州連合(EU)域外から専門的資格とドイツ語能力を持つ人を呼ぶための新移民法を制定したことである。

 
 スイスの国際ビジネス教育・研究機関IMDによる「World Talent Ranking 2017」で「高度外国人材にとっての魅力度」が世界16位であり(ちなみに日本は51位でアジア最下位)、
 
これだけ多くの外国人を受け入れているのにもかかわらず、新たに法を制定しなくてはならないほど高度人材が足りていないのだ。
 
 こういったドイツの事情を踏まえて、改めて日本について考えてみよう。
 
 日本は現在、深刻な人手不足に陥っている。
 
中小企業を中心にバブル期並みの人手不足となっており、45%もの企業で常用労働者が足りていない。
 
だから「移民ではない」という建前で外国人労働者をどんどん受け入れているわけだが、このままでは「気づいたら移民が増えていたので対策します」というドイツの二の舞になってしまいそうだ。
 
 ドイツと同じ轍を踏まないために、外国人労働者の受け入れは移民政策の一貫として、戦略的に行う必要性があるのではないだろうか。
 
 「移民」という言葉に抵抗感がある人も多いだろうが、「移民国家」を認めたことで起こる反発より、それを認めずに実質移民国家となり「日本人vs外国人」と対立するほうが、私にはよっぽど恐ろしく思える。
 
 そもそも、日本で働いている人の多くは既に「移民」と呼べるし、そうでなくとも定住する可能性のある移民予備軍なのだから、「移民」という言葉にだけ反対していても意味がない。
 
 では、必要とされる移民政策とは、例えばどういうことをいうのか。
ドイツ・ベルリンのアラブ人街を歩く男女=2018年6月(共同)
ドイツ・ベルリンのアラブ人街を歩く男女=2018年6月(共同)
 まずは、外国人の経済的安定が不可欠である。
 
ドイツ連邦雇用庁によると、16年の失業率は、ドイツ人が5・0%、外国人は14・6%。
 
収入にも格差があり、15年のフルタイム労働者の収入は、ドイツ人とそうでない人で21・5%もの差があった。
 
社会保障費を減らすという点でも、外国人が経済的に不利にならないよう予防することは必要である。
 
 また、過労死がすでに多くの国で報じられている日本で、外国人搾取が続き、それが公になれば、国際的なイメージに影響することも理解しておかないといけないだろう。
 
 
「事前対策」現場だけでは限界がある
 
次に教育だ。
 
家庭内の第一言語がドイツ語でないためドイツ語を話せないという小学1年生が増加し、現在ドイツでは教育レベルの低下が懸念されている。
 
言語的ハンデが低学歴につながり、学歴格差がさらに収入格差として現れるのも問題である。

 
 日本は私立の高校、大学が多いため、経済的に不利な外国人家庭の子供が進学を断念したり、公立高校に殺到したりするかもしれない。
 
そうならないためにどうするか。
 
 他にも宗教の問題がある。
 
日本は比較的宗教に寛容とはいえ、勤務中の礼拝をどう扱うか、学校の修学旅行が京都・清水寺でいいか、半袖の制服着用を義務化していいか、といったことも考えていかなくてはいけない。
 
職場飲み会もNGになるかもしれないし、社食では牛や豚を使わないメニューを用意する必要があるかもしれない。
 
宗教において「ここは日本だから合わせろ」は通用しない。
 
 これらは、外国人を受け入れる以上、起こり得る想定内の課題である。
 
それならば当然、事前対策を求められる。
 
多くの国が移民問題に揺れているのだから、「移民国家じゃないので対策しません」というのは、あまりにお粗末だ。
 
 それぞれの自治体や学校、職場で社会統合に向けての個別努力は行われているが、現場だけでは限界があるだろう。
 
 もうさっさと移民を受け入れていると認めて、横断的に受け入れ政策を担当する省庁、ドイツでいう連邦移民難民庁(BAMF)のような公的機関を用意した方がいいのではないだろうか。
 
移民を認めず社会統合のスタートでつまずいたドイツと、わざわざ同じ道をたどる必要はない。
 
 「外国人労働者を受け入れるべきか否か」という議論も大事ではあるが、既に「移民」と向き合うべき段階になっているんじゃないかと思う。
 
求められているのは、「移民かどうか」という言葉遊びではなく、受け入れた外国人と共存・共栄するための議論だろう。
 
 そして最後に言いたい。
 
人手不足解消のために、引きこもりの社会復帰促進や、闘病中・介護中・育児中の人の就職支援など、国内でできることはまだまだたくさんある。
 
政府は高度外国人材を呼び込むために最短1年で永住権を認めることにしたが、日本にだって優秀な人はいるのだから、修士以上の高学歴者の優遇や研究費の支援なども検討すべきだ。
 
 外から人を呼ぶのは一つの選択肢だが、国内の「自給自足」も忘れないでいてほしい。

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