移民との「蜜月」は長く続かない  日米近現代史家・渡辺惣樹

 移民との「蜜月」は長く続かない  日米近現代史家・渡辺惣樹  2019.1.16

≪日本人に目をつけた「砂糖王」≫

 移民は、人手不足の国にあっては何時でも歓迎されるものである。

歴史上移民が歓迎された事例は枚挙にいとまがない。

 かつて存在したハワイ王国の主要産業は、サトウキビ栽培であった。

アメリカ人農園主は本国の政治家に働きかけ、ハワイ産の蔗糖(しょとう)(原料糖)に特別な低関税措置を取らせることに成功した。

ハワイのプランテーションオーナーにはゴールドラッシュ以来、急激な膨張を遂げているカリフォルニアから注文が殺到していた。

サトウキビから蔗糖を生産するプロセスには大量の労働力を必要とした。

彼らが目を付けたのが日本だった。

 ハワイのカラカウア国王が横浜に現れたのは1881年3月4日のことである。

国王の乗った「オーシャニック」号はサンフランシスコからやってきた。

ハワイ王国への理解を求めることが第一義的目的であったが、そこには隠された経済的思惑もあった。

それが日本の労働者のリクルートだった。

 米国本土出港前、サンフランシスコでは、同地の砂糖王クラウス・スプレッケルスが盛大な宴を開き、国王の旅の成功を願った。

 ハワイ王国外相は同国の駐日領事ロバート・アーウィンに日本人移民に大きな期待を寄せていることを伝え、国王の訪日をきっかけに日本との友好を深め、移民リクルートを必ず成功させるよう訓令していた(1881年1月15日付)。

アーウィンは懇意の井上馨(初代外相)、益田孝(初代三井物産社長)らの協力を得て、移民勧誘事業を成功させた。

 1885年2月8日、ハワイ王国がその待遇を保障した日本人移民(官約移民)943人を乗せた「シティーオブトーキョー」号がホノルルに入港した。

港にはカラカウア国王も待ち受け、一人一人に1ドルを与えた。

以降10年間で3万人近い日本人移民がハワイに渡った。

移民事業は送り手にも大きな利益をもたらす。

アーウィンが伊香保温泉の一等地に別荘を所有できたのもそれが理由だった。

 ≪人種差別は日米戦争の遠因にも≫

 人手不足の時期にあっては移民は歓迎される。

労働力を必要とする産業が強いマグネットとなり政治を動かすからである。

しかし、いったん状況が変化すれば移民に対する扱いは極端に変化する。

 大陸横断鉄道建設時のことであるが、米国は、国民の海外渡航を禁止していた清国に移民を許可する条約(1868年、スワード・バーリンゲーム条約)を結ばせ、大量の肉体労働者を確保した。

彼らを使った大陸横断鉄道や港湾が完成すると、東部からアイルランド系移民が職を求めて西部諸州に殺到し、激しい職の奪い合いが起きた。

市民権を持つアイルランド系移民を組織した政治グループ(労組系)はワシントン議会への工作を通じて支那人排斥法(1882年)を成立させ、清国からの移民をシャットアウトした。

 かつては歓迎された日本人移民も同様の運命をたどった。

ハワイ王国は革命によって共和国になり、米西戦争のどさくさのなかで米国に併合された(1898年)。

多くの日系移民が新天地を求めて本土に移った。

日本から直接、米国にやってきた移民とともにカリフォルニアやオレゴンの荒れ地を農地に変えていったが、彼らも西部諸州の白人労働者に妬まれ嫌われた。

それが排日移民法(1924年)となり、日本人の米国移住の扉が閉じられた。

この人種差別的法律が関東大震災の惨禍に苦しむ日本に大きな衝撃を与え、日米戦争の遠因になった。

 ≪混乱が起きなかった例はない≫

 上記の東洋人排斥の法律には多分に人種差別の要素があったが、白人間でも移民を排斥する事例は多々あった。

日本ではほとんど知られていないが、かつてアメリカには「不知党(Know Nothing Party)」なる政党があった。

日本に開国交渉にきたペリー提督はフィルモア大統領の親書を携えていた。

同大統領が所属していたこともある政党である。

 19世紀半ば、アメリカ東部中西部ではアイルランドやドイツからやってきたカソリック系移民に対する恐怖感が広まっていた。

プロテスタント(清教徒)の国に仇敵(きゅうてき)カソリック教徒が登場したのである。

白人であるがゆえに容易に市民権を獲得し、利益代表を政治の場に送り込んだ。

彼ら自身も公職に就き、政治活動を開始した。

 それが原因で、ニューヨーク、フィラデルフィア、シカゴ、ボルティモアなどの諸都市で反カソリック暴動が起きた。

扇動したのが「不知党」だった。

彼らは市民権獲得までの最低居住年限の延長(5年から21年)、米国生まれでない移民の投票権と議員資格の剥奪を主張した。

同党の人気は高まり1854年にはワシントン議会に53人の議員を送り込んだ。

 昨年末、出入国管理法が改正された。

今は人手不足で、受ける側と来る側の「蜜月」の時期だが、問題はこれからである。

移民大国アメリカはその解決にいまだに苦しんでいる。

外国人労働者の受け入れで混乱が起きなかった例はない。

日本には覚悟が必要となる。

(日米近現代史研究家・渡辺惣樹 わたなべ そうき)

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