英語偏重教育は、国益にかなわぬ 九州大学大学院准教授・施光恒

英語偏重教育は、国益にかなわぬ 九州大学大学院准教授・施光恒

 

「一国の国語は、外に対しては、一民族たることを証し、内にしては、同胞一体なる公義感覚を固結せしむるものにて、即(すなわ)ち、国語の一統は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり」。

日本で初めて本格的な国語辞典『言海』を作った明治の文学者・大槻文彦は、こう国語の大切さを指摘した。

 大槻をはじめ明治の先人たちは、国づくりはまず言葉からと考え、近代的な日本語を作り上げた。

文法を整え、正書法を定め、欧米諸語の多くの概念を翻訳し移入した。

そのおかげで日本人は世界的に見れば豊かで安定した生活を享受することができた。

国民の分断化が進まないか

 だが、この恵まれた状態は今後長くは続かないかもしれない。

英語偏重の政策が流行しているからだ。

小学校からの英語正式教科化、大学入試でのTOEFLやTOEICなど民間英語試験の導入、大学の講義の英語化推進など、枚挙にいとまがない。

国の基盤を壊してしまう恐れがある。

2020年度から始まる小学校での英語正式教科化を例にいくつか指摘してみたい。

 第1に、教育における経済的格差の拡大が予想できる。

小学校で英語が正式教科となれば、私立や国立の中学校入試で「英語」が必須科目となる。

文法や読解よりもコミュニケーション重視というのが昨今の流れであるから、中学入試に英語の面接やリスニングが導入される。

その対策として教育熱心で経済的に豊かな家庭では、小学生の頃から子供を米国や英国、フィリピンなどに語学留学させることがはやるはずだ。

「教育移住」を選択する家庭も増えるだろう。

当然ながら、この流れについていけるのは富裕層だけである。

 第2に、国民の連帯意識が損なわれる恐れもある。

特に懸念すべきは「エリート」層の変質である。

語学留学や教育移住を経験し、英語はそこそこできるが、日本語は怪しく、日本の文化や常識をあまり身に付けていない者たちが今後の日本のエリートとなる。

 新しいエリートたちが一般の日本人に対して連帯意識を抱くかどうか疑わしい。

アジアやアフリカの旧植民地国同様、日本でも国民が「英語階級」と「日本語階級」に分断されてしまう恐れがある。

日本語能力の発達を阻害する

 第3に、基礎学力の低下である。

小学校から英語を学習しても効果は限られる。

言語学者の永井忠孝・青山学院大学准教授が指摘するように、むしろ幼少期からの外国語学習は母国語能力の発達を阻害する恐れもある。

シンガポールでは、小学1年生から授業時間の大半を英語と民族語(主に中国語)に当てる。

算数と理科で使われるのはすべて英語である。

結果は芳しくない。

 英語と中国語の新聞を両方とも読みこなせる「プロフィシェント・バイリンガル」に育った者は全体の13%にすぎない。

英語でも中国語でも簡単な会話はできても難しい文章の読み書きは不得手な「セミリンガル」になってしまう場合が一番多いという。

日本でも将来、日本語も英語もきちんと使えない子供たちが大量に生み出されてしまうのではないか。

 このように、現在の英語偏重の教育政策を批判すれば「そんなことを言っても、グローバル化は時代の流れだから仕方がない」といった反論が寄せられるだろう。

だが、それは正しいだろうか。

 世界をみれば、米国のトランプ大統領の選出、英国の国民投票による欧州連合(EU)離脱の決定、イタリアの「五つ星運動」の政権奪取、フランスの「黄色いベスト」運動など、反グローバル化のうねりが近年生じている。

これらに共通するのは、グローバル化の旗印の下で作られてきた現在の国際経済秩序の不公正さに対する反発である。

国家百年の計として考えよ

 グローバル化の下では資本の国際的移動が自由化・活発化するため、グローバルな投資家や企業の影響力が各国の庶民の声よりも大きくなってしまう。

例えば「法人税を下げてくれなければ、この国から出ていかざるを得ない」

「人件費を下げるために外国人単純労働者を解禁しなければ、貴国にはもう投資しない」という具合に、グローバルな投資家や企業が、投資先の国を選べるようになった結果、各国政府に圧力を及ぼす余地が大きくなったからだ。

 実際、グローバル化が本格化した1990年代頃から、グローバルな投資家や企業に有利で、庶民には不利な制度改革が各国で行われてきた。

日本も例外ではない。

 欧米の有力な国々でグローバル化に対する庶民の反発が大きくなっているため、近い将来、現行の不公正な国際秩序のありかたが大きく変わるかもしれない。

フランスの歴史人口学者E・トッド氏が述べるように、「脱グローバル化」「国民国家への回帰」が主流になる可能性は小さくない。

 現在のグローバル化の動きは決して必然ではない。

国民の生活の安寧という大局的観点から、国家百年の計として日本の教育のありかたを考えることが必要である。

九州大学大学院准教授・施光恒 せ てるひさ

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