【石平のChina Watch】習独裁体制の落とし穴

【石平のChina Watch】習独裁体制の落とし穴

訪中した田中首相を北京空港で出迎える周恩来首相(いずれも当時)。習主席にこうした側近はいない?=昭和47年
訪中した田中首相を北京空港で出迎える周恩来首相(いずれも当時)。習主席にこうした側近はいない?=昭和47年

 

前回の本欄は、中国の習近平国家主席がトランプ米大統領との首脳会談による貿易協議の決着を避けている理由を指摘した。

米国に大幅に譲歩した「城下の盟」を自らの手で結ぶことで「喪権辱国」の汚名を背負うことを嫌っているからである。

実はこのことから、習近平体制の抱える問題点が見えてくる。

 今の中国共産党政権内で、習主席は、政治・軍事・外交・経済など多方面にわたってすべての決定権を1人で握り、毛沢東以来の個人独裁体制を確立した。

しかしそれは習主席自身にとって苦しみの源ともなっている。

 1人であらゆる決定権を持ったことで、彼は結局、政治・軍事・経済・外交などの多領域で起きたすべての問題に対して責任をもち、自分の下した決断にいちいち責任を持たなければならない立場となったからである。

 米中貿易協議の進行はまさにそれを示している。

中国側は「大幅譲歩」の決断を下さなければ合意に達することができないが、習主席の決断によって「大幅譲歩」の合意が成立した場合、「喪権辱国」の政治的責任と歴史の汚名は全部、彼自身が背負うことになるからである。

 もちろん、米国との協議が決裂して貿易戦争が継続された場合でも、習主席はやはりその責任を負わなければならない。

中国経済がこれで、さらなる大不況に陥ってしまうと、経済運営の最高責任者となった彼にはその責任から逃れる道はない。

 もし、習主席自身が責任を負うことを恐れて行動を躊躇(ちゅうちょ)した場合、中国の政治も経済も外交もいっせいに止まってしまい、何一つ進まないのである。

 結局、習主席は、トウ小平時代以来の集団的指導体制を壊し個人独裁体制を作り上げたことで、上述のような苦境に自ら陥ってしまったわけだ。

実は昔の毛沢東独裁と比べれば、習近平独裁にはもう一つ大きな欠陥がある。

 毛沢東は生前、絶対的なカリスマとして党と国家の上に君臨して実質上の「皇帝」となった。

その一方、当時の中国には周恩来という非凡な能力を持つ「宰相」もいた。

周恩来は毛沢東の政治的権威に百パーセント服従しておきながら、経済運営や外交などの実務を一人で引き受け、毛沢東の代わりにすべての無理難題をうまく処理し、難しい外交交渉に当たった。

 

たとえば昭和47(1972)年の田中角栄首相訪中の際、田中首相との難しい交渉も激しいけんかも全部、首相の周恩来一人がやり遂げた。

国交回復の交渉がほぼまとまった時点で、毛沢東が出てきて田中首相と会談し、「大所高所」からの「雑談」に興じた。

その際、もし日中交渉が失敗に終わったら当然、周恩来一人がその全責任を負うこととなるから、毛沢東は永遠に無傷のままである。

 ある意味では、まさに周恩来のような非凡な才能をもつ忠臣がいたからこそ、毛沢東独裁は彼が死ぬまで27年も続いたが、残念ながら今の習主席には「周恩来」という存在はいない。

共産党政治局と政府中枢には、習主席の幼なじみや地方勤務時代の元部下からなる側近グループがあるにはあるが、メンバーの全員が無能なイエスマンばかりで、周恩来のような傑物は一人もいない。

 その一方、習主席と今の首相の李克強氏とは犬猿の仲であることは周知の事実である。李首相は習主席のために難題解決に当たることもなければ泥をかぶることもしない。

すべては習主席に、「お任せしてお手並み拝見」の態度を貫いている。

 昔の中国の皇帝が自分のことを「孤家」や「寡人」と呼ぶことがあったが、今の独裁者・習主席はまさに文字通りの「孤・寡」となった。

このような極端な個人独裁体制はいつまで持つのだろうか。

                   

【プロフィル】石平(せき・へい) 1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

 

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