「魏志倭人伝を「普通」に読んでみる」: FROM 三橋貴明

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2019・8・29

第271回「魏志倭人伝を「普通」に読んでみる」

FROM 三橋貴明

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長浜先生の影響で、魏志倭人伝を読み返しているのですが、これが面白い。

何が面白いのかといえば、

「なぜ、ここまで露骨に邪馬台国の位置が書かれているにも関わらず、日本の歴史学会で揉め続けたのか?」
でございます。

例えば、魏志倭人伝には、
「帯方郡(現・北朝鮮南西地域)より女王国に到着するまでには、全部で一万二千里余りになる。」
と、あります。

また、
「(帯方郡から)倭の北岸の狗邪韓国(朝鮮半島南部)に到着するまでに(帯方郡から)7千里」

「千里余りの海を一つ渡ると、対馬国に到着する」
「そこからまた南に行って、千里余りの海を一つ渡る(略)。一大国(壱岐)に到着する」
「また一つ千里余りの海を渡ると、末盧國に到着する」

「東南に陸地を行くこと五百里で、伊都国に到着する」
「東南に行って奴国に到着するまで百里ある」
「東に行って不弥国に到着するまで百里ある」
と、書かれています。

奴国の位置は、後漢の光武帝が送った「漢委奴国王印」の金印が博多湾の志賀島で発見されているため、確定しています。

不弥国(ふみこく)は、現・福岡市の宇美町(うみまち)です。

実際の距離を大雑把に計測すると、
「帯方郡から狗邪韓国までが約700km」
「そこから対馬まで約100km」
「そこから壱岐まで60km」
「そこから北九州の松浦市(末盧國)まで約50km」
「そこから糸島市(伊都国)まで伊万里市経由だと約60km」
「そこから奴国(福岡市志賀島とすると)まで約15km」
「そこから不弥国(宇美町)まで約20km」

特に、松浦市以降の陸路を見ると、
「松浦市から糸島市に行く方が、糸島市から福岡市に行くよりも数倍かかる」

「糸島市-福岡市志賀島と、志賀島-宇美町がほぼ同じ距離(※あるいは糸島市-宇美町ですが、その場合は30km)」

と、かなりリアルになっています。

陸路で計算すると、「一里」は100m弱になります。中国の古代数学所「周髀算経(しゅうひさんけい」によると、一里は約76mと計算されているとのことです。

というわけで、帯方郡から奴国までで、1万2千里のうち、不弥国までで1万700里を消費してしまいました。

ということは、「女王の国」の位置は、現・福岡市宇美町から半径1300里、半径100km前後に位置していることになります。

無論、高速道路が整備されているわけじゃあるまいし、直線距離で測っても意味がありません。

山々を縫って進まざるを得なかったでしょうから、実際には、直線距離で福岡市から南方100km「以内」に、女王の国はありました。

ちなみに、現・みやま市近辺の旧名は「山門郡(やまとぐん)」でございます。

山門郡は、元々は筑後山門と肥後山門が一つの「山門(やまと)」でした。

山門郡を筑後と肥後に分けたのは後世なので、元々の「山門」が邪馬台国だとすると、女王の国に三橋の生まれ故郷である山鹿市が含まれることになります。

山鹿市のお隣は菊池市で、その南西が熊本市。

つまりは「熊襲(くまそ)」の国。

再び、魏志倭人伝から引用。

「(女王の国の)そのさらに南に、狗奴国(くなこく)がある。

この国では男子が王となっている。その長官には、狗古智卑狗(くこちひこ)がいる。

女王には服属していない。」

熊襲国や菊池氏は、女王に服属していない、と。

さらに、引用。

「女王国より北側の地には、特に一大率を設置して、諸国を点検・監察させている。

諸国は、一大率を怖れ憚かっている。

いつも伊都国に駐在 していて、中国においての刺史(州の長官)のように見える。」

女王の国の「北」の地を、「糸満市」に駐在させている一大率に統率させている。

また、魏志倭人伝では女王の国の北に位置する国々について一つ、一つ、名前を挙げていますが、

「(略)次に対蘇国(とすこく)があり、次に蘇奴国(さがなこく)があり(略)」

旧・山門郡(女王の国)の北に「鳥栖市(対蘇国)」があり、その隣に「佐賀市(蘇奴国)」がある。

他に挙げられている国々も、

何しろ「次に」と、隣り合う形で紹介されているため、特定可能でしょう。
(実際に、ほぼ特定した研究者の方もいらっしゃるようです)

唯一、女王の国=山門郡に疑問を抱かせる文章が、例の不弥国から女王の国までの経路、
「水上を航行して十日、陸上を行って一か月かかる」

ですが、

何しろ女王の国の北には、魏志倭人伝が紹介している通り、服属国が多数ありました。

この辺りは、長浜先生の「邪馬台国はどこにあったのか?」の説明で確定でしょう。

というわけで、奈良県桜井市の纏向が邪馬台国のはずがないのです。

それでも、「天照大神=卑弥呼」説や「邪馬台国東遷説」が消えない。

大和王朝の始まりが、卑弥呼死後の邪馬台国の東遷ということになると、日本の古事記や日本書紀が「全否定」されることになります。

というか、まさに「そのため」に、邪馬台国を纏向に持ってこようとしているのではないか、という疑念を抱かざるを得ないのです。

この辺りの話は、経世史論の皇統論第九回「神功皇后と卑弥呼」で取り上げる予定です。

【経世史論~「正しい祖国の歴史」を学び、「現代」を読み解く~
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

長浜浩明氏のコンテンツ「邪馬台国はどこにあったのか?」は、9月30日まで視聴可能です。

これを機に、是非、ご入会下さい。

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