「愛子天皇」待望論者たちよ 、もう一度壬申の乱を起こしたいのか :  倉山 満 NO.1

テーマ:愛子さまが天皇になる日

「令和」が幕を開けた。

列島は祝福ムード一色だが、新時代の皇室が抱える不安も少なからずある。

平成の終わりに週刊誌上をにぎわせた「愛子天皇」待望論はその最たるものであろう。

秋篠宮家を取り巻く最近の風評が多分に影響しているとはいえ、令和の次の時代に愛子天皇が誕生する日は本当に訪れるのか。

最近になって自民党の二階俊博幹事長や甘利明衆議院議員が女系天皇・女性天皇に賛成の発言をしていたことに驚いた。

彼らは、皇室破壊の言動で国家転覆罪に当たる重大な発言であることに気がついているのだろうか。

自民党はもはや保守政党ではない。

「愛子天皇」待望論者たちよ 、もう一度壬申の乱を起こしたいのか

2019/05/01

倉山満(憲政史家、皇室史学者)

まず、皇室に関して最も大事な三つの原則を確認しておく。

「一つ目の原則は、皇室は先例を貴ぶ世界だということである。」

わが国は初代神武天皇の伝説以来、2679年の一度も途切れたことがない歴史を誇る。

 

風の日も雨の日もあったが、昨日と同じ今日をこれまで続けてきた。

幸いなことにわれわれの日本は、この幸せが明日も続きますように、と言える国なのである。

 
 皇室の祖先である神々を祀っている最も格式の高い神社は、伊勢神宮である。
正式名称は神宮。
ユーラシア大陸でイスラム教が勃興した西暦7世紀には既に、「いつの時代からあったか分からないほど古い時代からあった」とされる。
神宮では毎日、日別朝夕御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)という神事が行われている。
毎日、同じ御食事を神様に捧げる。
昨日と同じ今日が続いてきた証として。
そして今日と同じ明日が続きますようにと祈りを込めて。
 京都御所の鬼門を守るのは、比叡山延暦寺だ。
その根本中堂には、伝教大師最澄が灯した不滅の法灯が今も光を放っている。
叡山は三度の焼き討ちにあったが、そのたびに他の地に分灯していた火を戻し、1300年前に伝教大師が灯した光が消えることはない。
毎朝、たった一筋の油を差す。
その行為自体に何の意味もない。
 しかし、毎朝油を差し続けているから、不滅の法灯が消えることはない。
いかなる権力があろうと、武力や財力があろうと、今から神宮や不滅の法灯を超える歴史を作ることはできない。
不滅の法灯は個人ではなし得ない。
歴史を受け継いだからこそ存在しているのだ。
 歴史に価値を認めない人間にとっては、何の意味もないだろう。
そもそも不滅の法灯など、物理的には一吹きの息で消え去る。
いくら言葉を尽くしても、「不滅の法灯などという面倒なものはやめてしまって、電球に取り換えればいいではないか」という人間を説得することなどできまい。
そのような人間には、歴史を理解することができないからだ。
先例など、何の意味も持つまい。
 そういう人間は日本にもいた。
それなのに、なぜ皇室は続いてきたのか。
変えてはならない皇室のかたちを守ろうとした日本人が続けてきたからだ。
もし、日本人が「皇室などやめてしまえ」「これまでの歴史を変えてしまえ」と思うなら、先例など無視すればよい。
ただし、それはこれまで先人たちが守ってきた、皇室を語る態度ではない。
 古来、皇室では「新儀は不吉」だとされてきた。
これは、時の天皇の意向であっても変えることができない、皇室の慣習法である。
貫史憲法とも呼ばれる。
かの後醍醐天皇は、「朕が新儀は後世の先例たり」と宣言し、公家の支持を失った。
歴史を無視し、時流にだけ阿(おもね)れば良いのなら、歴史はいらない。
ついでに言うと後醍醐天皇の言う通りにすれば、当時の公家の存在価値などないから、あきれられるのも当然だろう。
 もちろん、先例であれば何も考えずに従えばよいのではない。
先例にも、吉例と悪例がある。
歴史の中から、どの先例に従うのが適切かを探し、「発見」するのである。
法は発明するものではなく発見するものであるとは、西欧人の自然法の発想である。
日本人は西欧人が自然法を発見する千年前から、その知恵を実践していた。
譲位を報告するため伊勢神宮外宮を参拝、板垣南御門に到着された天皇陛下(当時)=2019年4月、三重県伊勢市(彦野公太朗撮影)
譲位を報告するため伊勢神宮外宮を参拝、板垣南御門に到着された天皇陛下(当時)=2019年4月、三重県伊勢市(彦野公太朗撮影)
 幕末維新で国の存亡が問われたとき、御一新が求められた。
古いやり方では西洋の侵略に対抗できない。
元勲たちは必死の改革を行い、生き残った。
その改革の最初が王政復古の大号令である。
ここでは「神武創業の精神」が先例とされた。
皇室とは、これほどまでに先例を貴ぶ世界なのである。
 どうしても新儀を行わねばならないような非常事態はある。
たとえば、大化の改新(645年)、承久の乱(1221年)、大東亜戦争敗戦のような場合である。
大化の改新は、宮中の天皇陛下の御前で殺人事件が起きた。
しかも犯人は天皇の実子である皇子である。
殺された蘇我入鹿の専横に中大兄皇子が怒り、事に及んだのだ。
そして多くの改革を始めていく。
元号が制定されたのもこのときである。
実の息子が起こした殺人事件に際し母親の皇極天皇は驚愕し、史上初の譲位を行った。

承久の乱は、「主上御謀反」である。

 

鎌倉幕府は、乱を起こした後鳥羽上皇らを島流しにし、時の九条帝を廃位した。

 

九条帝は、践祚(せんそ、天皇の地位を受け継ぐこと)はしたが、即位していなかったので「半帝」呼ばわりされた。

「九条廃帝」である。

「仲恭天皇」の名が贈られるのは、明治3年。

 

実に600年後である。

 

なお、乱後に治天の君として院政をしいたのは守貞親王だ。

 

後に後高倉上皇の名が贈られた。

史上初の「天皇になっていない上皇」となった。

敗戦は、国土を外国に占領されるという未曽有の不吉だった。
その際、昭和天皇が自らラジオで国民に語りかけ、結束を訴えた。玉音放送である。
 いずれも、血なまぐさい不吉な事件により、新儀が行われている。
もちろん、ここで挙げた例でも、元号、譲位、玉音放送(なぜかビデオメッセージと呼ばれる)は現代でも行われ先例となっているので、それ自体は悪いことではない。
一方で、廃位や上皇の島流しなどは何度も行われているが、言うのも憚(はばか)るような悪例である。
皇室において、新儀とは無理やり行うものなどではないのである。
二つ目の原則は、皇位の男系継承である。」
今上天皇まで126代、一度の例外もない。
八方十代の女帝は存在するが、すべて男系女子である。
男系継承をやめるとは、皇室を亡ぼすのと同じである。
 現在、悠仁親王殿下まで、一本の糸でつながっている。
その今、男系をやめる議論をすること自体が、皇室に対する反逆だ。
いかに、これまでの歴史をつないでいくか、たった一本の小さな糸を守るべきかを考えなければならない。
それをやめる前提の議論など、不滅の法灯をLED電球に変えようとするのと同じである。
蘇我入鹿も、道鏡も、藤原道長も、平清盛も、足利義満も、徳川家康も、皇室に不敬を働いた権力者は数あれど、誰一人として皇室に入り込むことができなかった。
この中で陛下と呼ばれた者は一人もいないし、息子を天皇にした者はいない。
せいぜい、自分の娘を宮中に送り込み、娘が生んだ孫を天皇にするのが、限界だった。
男系の原則が絶対だからだ。
それを今さら男系継承をやめるとは、今までの日本の歴史は何だったのか。
男系継承は、皇室が皇室であり続ける、日本が今までの日本であり続ける原則なのである。
三つ目の原則は、直系継承である。」
間違ってもらっては困るが、「男系継承の上での直系継承」だ。
二者択一ではない。
世の中には、勉強のしすぎで肝心な原則を忘れ、女系論を振り回す論者がいる。
この人たちの言い分は、直系継承である。
三分の理はある。
しかし、肝心な原則である男系継承を無視して女系論を振り回すから、世の常識人に鼻をつままれるのだ。
皇后さまのお誕生日を祝うため、皇居に入られる皇太子ご一家(当時)=2018年10月(代表撮影)
皇后さまのお誕生日を祝うため、皇居に入られる皇太子ご一家(当時)=2018年10月(代表撮影)
不吉なたとえだが、単なるフリーターが内親王殿下と結婚して男の子が生まれたら天皇になれるのか? 
そんな簡単なことが許されるなら、なぜ藤原氏は摂関政治などという面倒くさいやり方を何百年も続けたのか。
 平民の男子は陛下になれない。
内親王殿下と結婚しても、平民は平民である。
これがわが皇室の絶対の掟である。
わが国は一君万民であり、君臣の別がある。
皇室から見れば、藤原も平も源も、皆、等しく平民である。
皇室から見れば、貴族と平民に差はない。
あるのは皇族と貴族・平民の差だけである。
 ただ、私は男系絶対派の中で、最も女系論者に理解を示してきたつもりだ。
理由を一言でまとめると、「一部の男系論者の頭が悪すぎるから」となる。
女系論者の中には、「あんな連中と一緒にされたくない」「あのような連中が言っているのだから、たぶん逆が正しいのだろう」と考えたくなる気持ちはわかる。
その愚かな主張から、代表的な二つを取り上げよう。
「一つは、「皇室のY染色体遺伝子が尊い」である。」

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