現行憲法の「無効」から出発せよ: 弁護士 南出喜久治氏

新しい憲法の話(3)

現行憲法の「無効」から出発せよ 弁護士 南出喜久治氏

 

弁護士の南出喜久治氏
巷(こう)間(かん)の改憲論議でまず疑わなければならないのは何か。
それは日本国憲法(現行憲法)について、無条件に有効だと受け入れる姿勢だ。

安倍晋三首相が訴えた9条への加憲にせよ、緊急事態条項の創設にせよ、現行憲法を有効とした上で、時代にそぐわない、あるいは不足しているから改正するという議論だ。

しかし、本当にそれで良いのか。

私は長年、現行憲法は無効だと訴えている。

それは「憲法」の持つ意味を重視しているからだ。

現行憲法を字義通り解釈すれば、自衛隊は認められない。

公費による靖国神社への玉串料支出を違憲とした愛媛玉串料訴訟の最高裁判決も、承認せざるを得ない。

自衛隊を合憲とし、「宗教法人」である靖国神社への公費支出を政教分離に違反しないとすることは、ごまかしや小手先の解釈論に過ぎない。

確かに、現行憲法は成立過程に極めて問題がある。

それでも、それを殊(こと)更(さら)言い立てるだけなら、国民の順法意識を低下させ、道義心を退廃させるだけだ。

現行憲法を有効とする立場にいる限り、どれほど「改正」したところで、この状況からは抜け出せない。

独立を奪われ、軍事占領下でできた憲法は無効と考えるべきだ。

すべてはそこから出発する。

 それは大日本帝国憲法(旧憲法)を再び施行し、現行憲法下で成立した法令や判例、行政処分などをすべてひっくり返すような革命をせよ、という主張ではない。

首相や衆参両院による「無効宣言」で、いったん旧憲法の法秩序に戻した上で、すぐさま時勢にあわせた改正をすればよい。

結果的に、それが現行憲法や、その改正案と字面が同じだったとしても、意味合いが全く違う。腐ったものを修理しても、だめなものはだめだ。

「国体」

そもそも憲法とは何か。

それは本来、現行憲法や旧憲法のような明文化されたものだけを指す概念ではない。

どのような社会でも、人類が共同体を形成する限り、秩序を保つため一定の規範体系は必要とされる。

それは当初、観念的なものだった。

それを文字で表現するようになったのは、社会が複雑化し、広く知らしめる必要が生じたからだ。

つまり、明文化されたものだけを「憲法」と捉えるのは誤りだ。

それは、あくまで観念的な規範体系の「影絵」に過ぎない。

より重要なのは、観念的な体系だ。

それは、ある共同体が、どのような文化・伝統に根ざし、何を規範としてきたかという体系であり、「国体」と表現すべきものだ。

このような国体論が抜け落ちた憲法論議には全く意味がない。

文化や伝統は決して個人の思い付きからは、形成されない。

どんな人間でも両親、そして、祖父母、曾祖父母ら過去から連綿と命を引き継いだ存在だ。

そして、文化や伝統とはそれと同様に、祖先がずっと営んできた生活の中から編み出され、引き継がれてきたさまざまな慣習やルールだ。

では、わが国の国体とは何か。

私は、それを「祭(さい)祀(し)の民」であり「歌詠み人の集団」である日本人が作り上げてきた規範体系と考えている。

われわれは長年、先祖や自然に感謝をささげてきた。

そして、その際にあげる祝詞は和歌にも通じる。

それが、日本という共同体を定義するものだ。

そして、その頂点に皇室があった。

家族祭祀、祖先祭祀の延長線上に皇室による国家祭祀がある。

その意味で、わが国は「天皇を中心としている神の国」だ。

それは、天皇陛下を絶対神とするいわば「天皇教」のような国家神道からは最も遠い。

国民主権でも天皇主権でもない。

いわば「国体主権」という視点が、わが国の憲法に必要だ。

それが欠けている現行憲法は、その意味からも「無効」とすべきだ。

「ノミの曲芸」

「どうせそんなこと出来っこない」

私が「無効論」を唱えて以来、このような指摘が数多く寄せられた。

しかし、そんな人たちには作家、尾崎一雄が『虫のいろいろ』で著した「ノミの曲芸」の話を贈りたい。

曲芸師がノミに芸を仕込む際、まずは小さなガラス玉に入れる。

ノミがさんざん跳ね回っても外に出られず、次第に諦める。

そんな時、曲芸師は外からガラス玉をたたく。

そうすると、驚いて跳ねる。それでも、外に出られない。

これを繰り返すと、ノミはどんなことがあっても飛ばなくなる。

そうなってようやく、曲芸師は芸を仕込む-。

私には、改憲論者が、このような飼いならされたノミに思えてならない。

現行憲法はダメだ、変えなければいけないと長年主張しても、現実を変えらなかった。

それどころか「右翼反動」などと指弾され、社会的に抹殺される。

無効など、そもそもできないと諦めている。

そうやっているうちに飼いならされる。

ここでの曲芸師とは、そもそも現行憲法を起草したアメリカや、それを守ろうとする世の風潮だ。

事実、現行憲法はこれまで、一言一句変わっていないではないか。

私はこんなノミにはなりたくない。

だから、勇気と志を持って無効だと訴える。

明治維新は当時、誰にもできないだろうと思われていた「幕藩体制打倒」という勇気と志を持ったからこそ、実現した。

決して、維新のすべてが良かったとは思わないが、それでも「この程度なら…」などと計算したり、妥協したりしたならば、実現できなかっただろう。

憲法改正も同じだ。

まずは「本当に改正で良いのか」というところから、議論すべきだ。(中村雅和)

 

みなみで・きくじ :昭和25年京都市生まれ。市立堀川高校卒。56年、司法試験に合格し、59年に京都弁護士会に登録。

著書・共著に『占領憲法の正體』(国書刊行会)、『日本国憲法無効宣言』(ビジネス社)など。

 

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