[昭和・平成] 国難を乗り越えた絆の秘密 :北野幸伯のパワーゲーム
[昭和・平成] 国難を乗り越えた絆の秘密 :北野幸伯のパワーゲーム
大東亜戦争による日本敗戦…
責任を感じられた昭和天皇は
退位を考えられた…
海外も皇室は消えると
思い込んでいた。
しかし、国民の力を信じ、
陛下はある大決断をされた。
これが日本復興の礎となる…
↓
詳しくはこちら
*****
「我欲に溺れ国民に言うべきこともいえず、
いい訳を繰り返し、
何もしないでこの国を損ないつつある
政治家たちは、陛下に生き方の原理を見習うべきだ」
by 元東京都知事・石原慎太郎
2011年3月11日
東日本大震災が起きた後、
天皇陛下(現・上皇陛下)は
自ら被災地に行かれる御意志を
示されました。
陛下は翌年に心臓手術をすることが
決まっており、当時の石原都知事は
陛下の健康状態を気にされ、
石原氏:
「陛下もお疲れでしょう。
被災地は皇太子・秋篠宮両殿下を
名代に差し向けてはいかがでしょう。」
と進言されのですが、
陛下は石原氏に歩み寄り、、、
天皇陛下:
「石原さん。東北は私が自分で行きます」
と優しくおっしゃられました。
そのお言葉に石原氏は絶句したと言います。
陛下は万全ではない健康状態の中、
七週連続で被災地を巡幸されたのです。
被災者の中には、家族もみんな亡くなってしまい、
「なぜ自分だけ生き残ってしまったのか」
「どうやって死のうか」
と考えた人もいましたが
天皇皇后両陛下のお姿を見て
お声をかけていただき、
生きる望みが湧いてきたと言います…
その避難所で両陛下が声をかけられた、お言葉が、、
「生きていてくれてありがとう」
まさに身内にかけるようなお言葉でした。
このとき、被災者は
「天皇陛下が国民にとって、
父母のような存在であり、
これがどれほどありがたいか肌身で知った」
と言っています。
両陛下は見返りを求めない
真実の愛を国民に寄せ、
両陛下に接した国民は
「日本国民の父母」の姿を見ました。
これを彷彿とさせるエピソードが
昭和の時代にもありました。
昭和の国難といえば、
大東亜戦争の敗戦…
当時の昭和天皇は
絶望に打ちひしがれる国民を
励ますため大きな決断をします。
それは足かけ8年半にも及ぶ苦難の道のりでした…
↓
昭和天皇:涙の巡幸記
-ダイレクト出版政経部門 久保 雄生-
最近のコメント