第二部 「暴走老人 アジアへ」(その7)第二節「アセアンの国々」
第二部 「暴走老人 アジアへ」(その7)第二節「アセアンの国々」
第五章 タイは魅力の微笑の裏に凶暴な一面がある
▼タイは心の底から親日だろうか?
バンコックは日本人にとって絶好の休息地であり、国民が穏やかな
パタヤビーチなども、リゾートとして、
バンコクか
一時はカンボジア難民の救援活動で、多くの日本人の若者がボラン
当時、筆者はといえば米国に足繁く通っ
タイはバンコクとアユタヤに日本企業の製造拠点が集中している。
知り合いの中小企業の社長にいわせると、「工場進出を考えて、調
最初にタイに行ったのは1972年で、三島由紀夫の『暁の寺』に
日の丸に「X」をつけた「日貨排斥」運動で、国旗を侮辱されたこ
かれらは全員が華僑の末裔で、チュラロンコン、タマサートなど有
委員長はチラユット・
お
日本はどうして明治維新をやり遂げられ、
皆が流暢な英語を喋った。
▲アジアに根を生やしていたのは拓殖大OBと東京農大OBだった
チュラロンコン大学の近くに拓殖大学OBのS氏が経営する印刷会
そういえば沢木耕太郎の『
まさに野生的で、
アジアはどこへ行っても筆者は拓殖大学OBコネクションにお世話
東京農大はフィリピンの出入国の手伝いを
そういえば、世界を歩き回り、「徒歩き大会」を主催する青少年交
彼は「北欧無宿」
翌1973年に学生運動を軍が鎮圧する「血の日曜日事件」がおこ
かなりの学生が銃撃され、国際的な批判が渦巻いてタノム政
直後から学生運動は華僑系と少数民族系に分裂し、血で血をあらう
筆者は現場に通って多くのルポを書いた。
拙速の判断で『百年遅れ
それで翌年だったか、京都に滞在していたときに、ホテルで目覚め
当時のタイ女性はサンダル履きか裸足で、化粧してタバコを吸う女
いまや一般女性もパーマ、
タイ人の表向きのほほえみとホスピタリティの豊かさ、料理も口に
年間160万人が押し寄せる
日本企業の進出は優に1600社、バンコクだけでも五万人の日本
駐在員らが離任に際して
日本企業はあちこちに工場を建てた。
バンコク市内には次々と高層
▲タイの工業ベルト地帯を襲った洪水
ところが、天災は忘れたころにやってくる。
2012年にタイ南部を襲った洪水被害により工場浸水、操業中断
2013年1月の安倍首相訪問では、まっさきにアユタヤからバン
このタイに陰の部分がある。
同性愛者が多いためエイズが蔓延しており、近代化したとはいえ、
交通渋滞は日本の援助
観光ツアーの名物『朝市』は舟で行くのである。
ほかのアジアの国々と同様にタイ経済の金融と物流・小売りは華僑
人口の14%が中国系という統計だが、もともと13世紀に華南か
歴代
タイの先住民族は山岳地帯から農村に住み、かれらはいまでは少数
したが
またこの国の王様は万世一系ではなく、戦争によって王制が交替し
13世紀のスコータイ王朝からアユタヤ王朝、トンブリー
タイは戦前・戦後を通じて独立を維持できたが、それは日本が支援
そのうえ欧米列強はインドシナ支配
ベトナム戦争中、反共の防波堤などとして米軍が経済支援も行った
日本の援助と企業進出によってタイは農業国家から軽工業国家への
もちろん、日本企業ばかりか華僑のコネクションや欧
なかでも最大の支援国は日本であり、タイ
バンコクでもチェンマイでも、チャイナタウンは殷賑を極めており
▼タクシン兄妹の興亡
2014年5月、タイでは戦後二十回目だかの「軍事クーデター」
兄貴のタクシンは外国に事実上亡命しておりリモート・コントロー
考えてみればタイは軍事政権↓民政移管↓司法クーデター↓軍事ク
ククリット・プロモート首相が「12月8日」という文章を残して
「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。
日本というお母
今日、東南アジアの諸国民が、
そ
12月8日(真珠湾攻撃の大東亜戦争開戦の日)は、われわれ
われわれはこの日を忘れてはならない」。
イギリスの歴史学者、アーノルド・トインビー博士はこう日本を評
「第二次大戦において日本人は日本のためというよりも、むしろ戦
その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東
日本人が歴史上に残した業績
ところが肝心の日本人が12月8日の意義をすっぽりと忘れた。
「
このタイに中国が静かに忍び込んできた。
タイの東西を横切る「クラ運河」の建設構想はナライ王が1677
マラッカ海峡を迂回せずとも、タイの南側に運河を開墾し、インド
レセップスがタイ王室に対してプロジェクトを持ちかけたとき、フ
現在の構想では全長102キロ、運河幅400メートル、
工期はおよそ十年と予測された。だが。
プミポン前
▼ニカラグア運河建設に象徴される無謀な海外投資
先例はニカラグア運河である。
中国の「無謀」というより「発狂的な」海外投資の典型は対ベネズ
パナマ運河をこえて、そのベネズエラ石油は中国へ運ばれる。
ニカ
しかし中国はベネズエラ鉱区を買収し、投資しているが、石油市場
2015年1月に急遽、訪中したマドロウ大統領は「中国開発銀行
2020年6月現在、まだマドロウ政権は
さてニカラグアの東西を掘削し運河を開くという、中国の夢のよう
一度、2014年に着工された。
香港に設立された「香港ニカラグ
ところが、このニカラグラ運河も暗雲がただよい、ニカラグラ南部
プラカードには「中国は出て行け
ニカラグアは人口600万人しかいないため、この運河プロジェク
2015年1月9日に北京で開催された「ラテンアメリカ、カリブ
これと同じ結末をクラ運河プロジェクトがたどることになるだろう
▼失敗の先例も顧みず、クラウンがに前向きなタイ王室
日本にとっては、およそ90%の輸入石油はマラッカ、スンダ、ロ
もし、クラ運河が完成すれば、マラッカ海峡迂回距離1200キロ
タクシン元首相、インラック前首相の時代、クラ運河の話は一度も
軍事政権は「汚職をコントロールできないのに、総額500億ドル
南シナ海を制御できる立場をえた中国が突如積極的になった
現国王の時代になると、事態は変化する。
国王陛下は、世紀のプロ
背景にあるのは事態の変化、タイ経済の未来への青写真である。
と
まもなく満杯に近くなる。パナマ運
現在のシンガポールが享受している通過点としてのメリットがある
中継費用、燃料の摘み入れなど、サイドビジネスが潤うことであ
だからこれらのビジネスを失う恐れが高いシンガポールが猛烈
そして国際環境の最大の変化要因は言うまでのなく中国である。
1970年代の中国は文革の最中、しかも自動車もほとんどない。
石油は自足できた。その中国が日
クラ運河と聞いて、中国の目
まっさきに手を挙げているのが南シナ海の人工島工事を請け負った
同社ノグルプは貨物飛行
「しかし壮大なプロジェクトゆえに直ぐに動き出すことはありえな
日本企業も協力? 君子危うきに近寄らず。
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