書評 しょひょう : 加藤康男『双葉山の邪宗門 ──「爾光尊事件」と昭和の角聖』(草思社)

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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 : 宮嵜 正弘
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 なぜ不敗の横綱は、あの『邪宗』の門をくぐったのか?
  昭和史の謎に、新しい光をあてて埋もれた真実を浮かび上がらせた

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加藤康男『双葉山の邪宗門 ──「爾光尊事件」と昭和の角聖』(草思社)
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 憑依現象として片付けられる問題ではなかった。

 69連勝という破天荒な記録を誇った横綱、双葉山が、或る時から、新興宗教に取り憑かれ、そのセクトの広告塔に利用された。

警察と相撲協会は、この新興宗教団体から双葉山を救い出すため、あらゆる方策をめぐらせた。

 教団は爾光尊と称した。

畏れ多くも御名御璽の「爾」である。

 「角聖を救え」。作戦は開始された。

 やがて説得に応じた双葉山は多くの弟子が待つ部屋(双葉山道場は太宰府にあった)に戻る。

その後、時津風親方として或いは協会理事長としての責務を果たしながらも、教祖への崇敬の念はこころから離れなかった。

 いったい、不出世の横綱に何が起きていたのか。

これまでにも加藤氏は張作霖爆殺事件に犯人捜しから、通州事件を調べ、震災時の朝鮮人問題にも焦点を当てて、歴史の真実を掘り起こすという作業を繰り返されてきた。

そのどれもが貴重な仕事である。

しかし、こんかいの新作のテーマが、新興宗教団と有名人との関係になるとは想定外であり、思いもつかなかった。

 しかも爾光尊事件は、金澤が現場である。

警察が踏み込んだときに双葉山が仁王様のように立ちはだかるというスクープ写真が当時の新聞を飾った(本書冒頭には珍しい写真が多数掲載されている)。

 「私が天照大神だ」となのる女性教祖(長岡良子)の周りには、熱狂的狂信的信者が囲み、もうひとり熱心な広告塔が囲碁のチャンピオン、呉清源だった。

呉は中国人である。

呉が双葉山のもとを訪れた時から、横綱に憑依が本格化する。

 教団の外苑には、理解者が多くいた。

それも徳川無夢、亀井勝一郎、永田雅一、野依秀市ら錚々たる著名人がいた。

野依は当時誰もが知っていた有名人で、GHQが戦後、良書を発禁処分としたときに一番、発禁図書指定本の数が多かったのも野依だった。

大分の出身で戦後は「帝都日々新聞と主催した。

 もともと双葉山は霊感の強い人で「相撲とは神業」と発言していた

時代的に言えば、戦争が続き、大東亜戦争(加藤氏は本書で「大東亜・太平洋戦争」と呼称している箇所には疑問符をつけたいが。。)の理想が語られ、「一億火の玉」と叫ばれていた。

信仰の宗教集団が雨後の竹の子のように、競い合って興隆していた。

 そのうえ天皇の人間宣言がくわわって、人々は信仰の対象を探していたという時代背景がある。

 教団は世間から白眼視され、孤立しつつも教団本部を転々と移動して、全国を流浪し、やがて消滅する。

加藤氏は最期の拠点を探し当て、また爾光尊教主の墓も探し当てて本書を締めくくっている。

 「人生の大半を何ものかと闘いながら幕を閉じた双葉山と爾光尊(長岡良子)は、東京下町の一隅と霊山の山奥で静かに眠っている。

そして、戦後間もない頃に起きたこの事件のことを覚えている人はもうほとんどいない」。

 邪宗といわれた大本は、時代を生き延び、今日も夥しい信徒を抱えているが、他の新興宗教は、信者数を半分から三分の一以下に激減させた。

日本人の宗教観は変わってしまった。
   ◎◎◎ 

宮嵜 正弘

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