ハーバード:ハニー・トラップ体験記  元陸相: 福山 隆

ハーバード:「ハニー・トラップ体験記」 元陸相: 福山 隆

私は、ボストンに到着後、すぐに英語学習を始めようと思った。
その心境はまさに「六十の手習い」だった。

ハーバード大学は公開講座(Extension School)の一環として
外国人(非アメリカ人)向けに英語教育(約6ケ月間)を実施している。

ハーバード大学の公開講座は、

英語のほか日本語、アラビア語、中国語、フランス語、ドイツ語、
ヒンドゥー語、イタリア語、韓国語、ラテン語、ポルトガル語、
ロシア語、スペイン語、スワヒリ語、スウェーデン語、トルコ語
などの語学教育があるほか、

芸術、人類学、アフリカ系アメリカ人の研究、生化学、生物学、
科学、ギリシア古典、ビジネス通信、コンピューターサイエンス、
創作文学、ドラマ芸術、経済、エンジニアリングサイエンス、
環境学、経済学、気象学、外国文学、文化学、政治、歴史、
芸術・建築史、科学史、人類社会学、情報システム管理、法学、
言語学、マネジメントオペレーション、マーケッティング、数学、
医科学、博物館学、音楽、自然科学、組織・人材活用学、哲学、心理学、
公衆保険、宗教、社会科学、社会学、話術、統計学、
スタジオ芸術、映画、学習・研究技法などと広範多岐にわたっている。

公開講座を開くことに関し、ハーバード大学の立場としては、
公共教育機関という側面を打ち出し、
努めて多くの国民(外国人を含む)に門戸を開き、

自らの教育資源を提供すると共に、
学校経営上遊休資源を活用できるという利点があろう。

因みに、アメリカの大学では、
夏休みが6~9月までの3ヶ月程度、

冬休みが12月~1月までの1ヶ月程度、
春休み が3月下旬~4月上旬までの2週間程度となっている。

また、公開講座を利用する立場にとっては、
世界に名高いハーバード大学の学生と
ほぼ同じクオリティーの教育が同大学の施設の中で受けられる他、
正規コースの「単位」としても認められるという利点がある。

学校当局に聞いてみると、私が申し込んだ英語教育の受講者だけでも629人に上るという。

従って、英語教育以外の公開講座全体の受講者を含めれば、相当な数に上るものと思われる。

公開講座を受講するにあたり、「読み・書き・話す・聞く」の各分野の評価テストがあり、
私は「中程度」の判定を受け、クラスを指定された。

9月2日の最初の授業で、小テスト
(「歴史」というテーマの小論文記述とクラス全員によるフリーディスカッション)があり、
一段階上のクラスに繰上げになった。

当初のクラスには、中国、韓国はもとより
ロシア、スイス、トルコ、ルーマニアなど多彩な国から来ていたが、

次のクラス(10名編成)は私のほか
中国・韓国人女性それぞれ1名ずつの他は7名全てがヒスパニックであった。

因みに、全体的に見て、英語教育の公開講座を受講する者は
ヒスパニックが圧倒的に多かった。おそらく、移民の関係なのだろう。

ヒスパニックとは、メキシコやプエルトリコ、キューバなど
中南米のスペイン言語圏諸国からアメリカに渡ってきた移民と
その子孫(人種的には白人、黒人、インディオ、混血など)を言う。

先に述べたが、私のクラスには中国人の女性がいた。
年齢は、20代後半だったろうか。

オードリー・ヘプバーンによく似たスラリとした美人だった。

彼女は、自分の名前を中国名では言わず、
イニシャルで「ケイ・ティ」と自己紹介した。

週二回の授業中は、控えめであまり発言しなかった。

休み時間も他の学生とお喋りすることもあまり無いようだった。

私も何度か話しかけたこともあったが、
愛想ない返事で、会話らしいものには一度も発展しなかった。

ところが、である。

約半年の公開講座が終了する最後の授業で、
今まで控えめで、ひっそりと過ごしていた彼女が、突然変身したのだ。

「私は、皆さんとの良き思い出を大切にしたいので写真を撮らせて下さい」

と言うや、日本製のカメラで
クラスメートに愛嬌をふりまきながらシャッターを押し続けた。

私の、印象では、他の誰よりも私の写真をたくさん撮っていたと思う。

私に焦点を当てて撮影するのを、カモフラージュするかの如く、
他のクラスメートを付き合わせているような感じだった。

今まで碌に会話もしないのに、「タカシ、タカシ」と私の名を親しげに呼んだ。

私は、インテリジェンスに係わった者として、この写真撮影に違和感を覚えた。

西ドイツ連邦情報局(BND)創設の功労者で、
初代長官となったラインハルト・ゲーレンは
その回顧録「諜報・工作」の中で次のように述べている。

「稚拙なことと思われるかもしれないが、
『顔写真の台帳』はスパイの仕事では重要な役目を果たすのである。

われわれは、ソ連原子力スパイの親玉を、
たった一枚の写真から見破ったことがある。

この男は現在のカンボジア駐在ソ連大使セルゲイ・クドリャフツェフだ」

私は、もう自衛隊の現役将軍でもなく、
情報勤務に携わっているわけでもなかったので、
「ケイ・ティ」が私の写真を撮影する動機は定かではなかった。

将来、私を「中国のエージェント」に取り込んで
何らかの「任務」に使用する「駒」の一つとしての利用価値は否定できない。

つまり、「ケイ・ティ」による写真撮影は、
私を中国のエージェントとしてリクルートする最初のステップだった可能性がある。

私は、2006年3月、ハーバード大学の公開講座・英語を修了した。

クラスメートとは格別親しくしていたわけでもなく、
当然のことながら、その後交流もなかった。

ところが、である。
07年1月のある日、「ケイ・ティ」が
突然アジアセンターの私の部屋(個室)を訪ねてきた。

彼女の「口実」によれば、アジアセンターにア
ルバイトの口があったので面接に来たのだという。

その際、タカシがアジアセンターにいることを思い出したので、
訪ねて来たのだと言った。

よくも私がアジアセンターに個室を持っていることが分かり、そ
れを探し出したものだ。

否、私に関する情報と、入念な準備なしにはできないはずだが。

私は、とっさの判断でドアを大きく開いたままにした。

「ケイ・ティ」が突然私の部屋を訪ねてきたことに、
本能的に何か違和感を覚えたからだ。

ドアを開けて置けば、万が一
「男と女の展開」に発展する可能性を防ぐことができるからだ。

「ケイ・ティ」は、1時間余りも私の部屋で一方的にお喋りした。

公開講座のクラスでの地味な振る舞いや私を黙殺する態度とは
完全に違っていて、まるで親しいクラスメートとの
懐かしい再会を心から喜んでいる――という振る舞いだった。

幾分の媚びさえも感じられた。
憂いを込めた眼で私に自分の思いを訴えた。

「私、最近悲しいの」
「どうして?」
「アメリカでは、誰でも自動車くらい持てるのに、私は、生涯持てそうもないわ」

アメリカに留学するくらいのエリートが自動車も持てないはずはないだろう」
「いや持てそうもないわ。今後の事を考えると、希望も無くなってしまうわ」
「そんなはずはないだろう。君のお父様は

中国軍の戦略ミサイル部隊『第二砲兵』の将軍だと言っていたじゃないか。お父様の力で何でもできるはずだ」
「それほどでもないわ」

その先の会話で、
「ケイ・ティ」はきっとこう話したはずだ。

「今後、タカシにはいろいろ相談に乗ってほしいの」、と。
私には、彼女の心が読めるような気がした。

私は、これ以上彼女の身上に係るような話に巻き込まれると
深みにはまると思い、体よく話題を変えた。

そして、「次の予定があるから」という口実で彼女にお引き取り願った。

3月ごろになると、オフィスに電話がかかってくるようになった。
アメリカに来て以来、私の部屋の電話が鳴ることはなかったが、

突然の電話に驚いた。

電話を取ったら「ケイ・ティ」からだった。

その後はベルが鳴っても受話器を取らなかった。

オフィスに電話をするのは、「ケイ・ティ」以外には誰もいなかった。
4月末になって、オフィスに行くとドアの下から手紙が差し込まれていた。

「タカシがもうすぐ帰国すると聞きました。
その前にぜひ会いたいと思います。

あなたのクラスメートの『ケイ・ティ』より」としたためられ、電話番号が書かれていた。

私は全く無視する戦術に出た。

私の黙殺戦術をどう受け止めたのかは知らないが、
それ以上のアプローチは無かった。

これが、ハニー・トラップだったのかどうか一抹の疑念も残る。
年齢が父親と同じくらいの男性の私に、
相談相手になってもらいたいという単純な動機だったのかも知れ
ない。

しかし、もし、ハニー・トラップだったら、
一線を越えてしまっては引き返すことができなかったかもしれない

そう思うと、私の判断・対応は間違っていなかったと確信したい。

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