ロシアのウクライナ侵攻の原因 NO.2

ロシアのウクライナ侵攻の原因 NO.2

「ウクライナ危機の根源はミンスク合意…部外者の米国が露の脅威を煽り、欧州に大打撃」

文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティング

ウクライナ情勢がかつてないほど緊迫している。

メディアでは「ロシアにウクライナ侵略の意図あり」を前提にした論調が大勢を占めているが、「なぜこの時点でロシアがウクライナを侵略しなければならないのか」との理由付けが釈然としない。

「『今乗り出さなければウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟を止められない』との危機感がロシアにある」との主張が多いが、ウクライナのゼレンスキー大統領は2月17日、「ウクライナは長年にわたりNATO加盟を望んできたが、そのプロセスは進展していない」と述べている。

 現在のウクライナ情勢はNATOとの関連で議論されているが、はたしてそうだろうか。

ロシアとウクライナの関係が悪化した発端は、2014年にウクライナに親欧米政権が誕生したことにある。

「新政権がロシア語話者(親ロシア系住民)を迫害する」との警戒から、親ロシア系住民が多数を占めるドンバス地域(ドネツク州とルガンスク州)で分離独立の気運が高まり、ドンバス地域の一部に半ば独立状態が生まれた。

 ロシアはクリミアの場合と異なり、ドンバス地域の一部を併合することはなかったが、ロシア軍は陰に陽に分離派武装勢力を支援してきた。

分離派武装勢力が支配する地域ではウクライナ政府が住民の社会保障を放棄したことから、ロシア政府が地域住民の保護を肩代わりする状態となっている。

 ドンバス地域では当初、ウクライナ政府軍と分離派武装勢力との間で激しい戦闘状態になったため、ドイツとフランスが仲介に乗り出し、2015年2月に現在の停戦協定であるミンスク合意を成立させた。

この合意は、当時のドイツのメルケル首相の尽力により実現したもので、ウクライナ情勢の安定化にとって最も重要な土台だとされているが、この合意に米国は関与していない。

 「ミンスク合意は単なる停戦協定ではない。」

「ウクライナ政府がドンバス地域の一部に強い自治権を認めるなどの内容を盛り込んだ憲法を改正する」という高度な政治的取り決めも含まれている。

自国に有利な内容となっていることから、ロシアはミンスク合意の履行の重要性を強調しているのに対し、ウクライナは一貫して否定的な立場をとっている。

2019年に就任したゼレンスキー大統領は、不利な戦局の中で結ばれたミンスク合意の修正を求めたが、ロシアはこれに応じなかったことから、昨年1月「ミンスク合意を履行しない」と宣言した。

これに対し、ロシアは「ウクライナがミンスク合意を破棄して武力解決を試みようとしている」と警戒、昨年3月からウクライナ国境沿いに軍を増派して圧力をかけた。

その後もウクライナが態度を改めなかったことから、昨年10月以降再び軍事的圧力をかけた。

「焦点がNATOの東方拡大にすり替わり」

 ロシアの一連の動きは、欧州に対して「ウクライナがミンスク合意を履行するよう促してほしい」とのメッセージだった可能性が高いが、この動きに敏感に反応したのが本来の調停者であるドイツやフランスではなく、部外者である米国だった。

バイデン政権の対ロ強硬派がこれを奇貨としてロシアの脅威を煽ったことから、焦点がミンスク合意からNATOの東方拡大にすり替わってしまった感が強い。

 

「ミンスク合意とは?」

ミンスク合意によって結ばれたミンスク議定書は、2014年9月5日にウクライナロシア連邦ドネツク人民共和国ルガンスク人民共和国が調印した、ドンバス地域における戦闘ドンバス戦争)の停止について合意した文書

これは欧州安全保障協力機構(OSCE)の援助の下、ベラルーシミンスクで調印された。

以前から行われていたドンバス地域での戦闘停止の試みに添い、即時休戦の実施を合意している。しかしドンバスでの休戦は失敗した

2015年2月11日にはドイツとフランスの仲介によりミンスク2が調印された。

2021年10月末のウクライナ軍のトルコ製攻撃ドローンによるドンバス地域への攻撃を端に発したロシア・ウクライナ危機 (2021年-2022年)が対立の激しさを増し、2022年2月21日にロシアのウラジミール・プーチン大統領はドンバス地域の独立を承認し、翌22日の会見で、ミンスク合意は長期間履行されずもはや合意そのものが存在していない、として破棄された。

 

1、ミンスク合意締結の経緯

ミンスク合意はウクライナ東部で2014年に勃発した軍事衝突の停止を目指して結ばれた。

紛争に至る経緯は以下の通り。親ロシア派だった当時のウクライナ大統領ヤヌコビッチ氏が、プーチン氏の圧力を受け、欧州連合(EU)との通商協定調印を見送った。

こうした状況に怒った市民が首都キエフで大規模なデモを行い、ヤヌコビッチ政権は退陣。

しかしその後の新政権に対しても抗議デモがウクライナ東部と南部で起きた。

ロシアの支援を受けた分離派武装勢力はこの間に東部のドネツク、ルガンスク両州を支配した。

この2州に軍を投入したウクライナによると、ロシア軍が戦闘に直接介入し、ウクライナ軍に決定的な打撃を与えた(ロシアは関与を否定)。

この紛争の解決を目指した合意が、隣国ベラルーシの首都ミンスクで結ばれたミンスク合意だ

2、ミンスク合意の中身

  2014年9月に締結された「ミンスク1」は12項目から成る。

欧州安保協力機構(OSCE)による停戦監視や、分離派が支配する地域への暫定的な特別地位の付与、地方選挙の実施、当事者の恩赦などが含まれている。

しかし、停戦合意は15年1月に完全に破られ、その1カ月後に「ミンスク2」がまとめられた。

新たな合意は13項目で構成されている。内容は1より詳しいが、問題解決の手順や政治的要件に関する文言は1と同様に分かりにくいものとなっている。

3、なぜ履行がそれほど困難なのか

  一つの問題は、ロシアが自国は紛争の当事者ではなく、そのため履行の責任を負わないとの立場を取っていることだ。

しかし、ロシアはミンスク合意成立のための交渉を行っており、ウクライナ側はロシアに履行義務があると主張している。

状況をさらに困難にしているのは、ミンスク合意がウクライナの憲法を改正しドンバス(ドネツク、ルガンスク両州)に特別な地位を与えることを規定している点だ。

しかも、親ロシア派が実効支配する「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」の指導者らとの「協議・合意により」行う必要があるとしている。

また最も大きな争点とみられるのは、特別な地位を付与する地域の範囲が定まっていないことだ。

分離派指導者はドネツク、ルガンスク両州の全域が含まれるべきだと主張。

ウクライナ政府は現在も両州の半分余りの地域を管轄下に置いているが、それを手放すことになる。

 

「議定書の内容」

議定書の項目は12個である

  1. 双方即時停戦を保証すること。
  2. OSCEによる停戦の確認と監視を保証すること。
  3. ウクライナ法「ドネツク州及びルガンスク州の特定地域の自治についての臨時令」の導入に伴う地方分権。
  4. ウクライナとロシアの国境地帯にセキュリティゾーンを設置し、ロシア・ウクライナ国境の恒久的監視とOSCEによる検証を確実にすること。
  5. 全ての捕虜及び違法に拘留されている人物の解放。
  6. ドネツク州及びルガンスク州の一部地域で発生した出来事に関連する人物の刑事訴追と刑罰を妨げる法律。
  7. 包括的な国内での対話を続けること。
  8. ドンバスにおける人道状況を改善させる手段を講じること。
  9. ウクライナ法「ドネツク州及びルガンスク州の特定地域の自治についての臨時令」に従い、早期に選挙を行うこと。
  10. 違法な武装集団及び軍事装備、並びに兵士及び傭兵をウクライナの領域から撤退させること。
  11. ドンバス地域に経済回復と復興のプログラムを適用すること。
  12. 協議への参加者に対して個人の安全を提供すること。

「議定書の後に出された覚書」

ミンスク議定書の調印から2週間の間、双方の勢力が休戦規定にたびたび違反した

ミンスクで会談が続けられ、議定書に続く覚書が2014年9月19日に調印された。

この覚書は議定書の履行を明らかにした。調停の手段の中で合意されたのは次のとおりである

  • 両国の国境線から15kmまで範囲から重火器を撤去し、30kmの緩衝地帯を作ること。
  • 攻撃行動の禁止。
  • セキュリティゾーン上での軍用機での戦闘の禁止。
  • 全ての外国人傭兵を紛争地帯から撤収させること。
  • ミンスク議定書の履行を監視するためOSCEの作戦を開始すること。

 

「ブダペスト覚書」

 

この覚書には、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの領土保全や政治的独立に対する脅威、または軍事行使に対する安全保障が含まれていた。

その結果、1994年から1996年の間にこの3カ国は核兵器を放棄(正確にはロシアに移転)した。

それ以前は、ウクライナが世界第3位の核兵器備蓄国であり、運用管理はしていなかったもののウクライナが大量に物理保有していた

なお、同兵器の運用はロシア管理による電子的行動許可伝達システム英語版(PAL)とロシアの指揮統制システム(CCS)に依存していたとされる

(旧ソビエト連邦の構成国であったベラルーシ、カザフスタン、ウクライナは、ソ連時代からの核をそのまま保有していた)。

2014年のロシアによるクリミア併合が起きたことで、米国とカナダとイギリスさらに他の諸国も 、ロシアの関与はウクライナに対するブダペスト覚書の義務違反であり、ウクライナの主権と領土保全を侵害していると批判、しかも同覚書はセルゲイ・ラブロフほかの署名のもと国連へ伝達したものであった

2014年3月4日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はブダペスト覚書の違反に関する質問への回答として、ウクライナの現状は革命だとして「新たな国家が起ち上がった時で、しかしこの(新たな)国家との、この国家に関しての、義務的な文書には何ら署名していない」と述べた 。

ロシアは「ウクライナの民間人をその意思に反してもウクライナに強制滞在させる」ことまでは決して義務の下に含まれていないと主張した

ロシアは、米国がブダペスト覚書に違反していると言い出して、ユーロマイダンは米国が扇動したクーデターだと述べている

「ユーロマイダン(マイダン革命)」

2014年ウクライナ騒乱またはマイダン革命または尊厳の革命 。

ユーロ・マイダン革命とは、2014年2月中下旬にウクライナで起こった革命である

首都キエフで勃発したウクライナ政府側とユーロマイダンデモ参加者の暴力的衝突の結果、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣のロシアへ亡命することになった

事実上、ユーロマイダン運動側がこの衝突の勝者となった。

新たな政権の発足(第一次ヤツェニュク政権)や2004年憲法の復活、数ヶ月以内の臨時大統領選挙の成し遂げなど多くの成果をあげており、ウクライナの社会・政治に膨大な変化をもたらした

一方、親露派のヤヌコーヴィチ大統領の失脚はロシアの猛反発を招き、ウクライナ領のクリミア半島のロシアによる併合と親露派武装勢力によるドンバス地方に於ける戦争の勃発をはじめ、クリミア危機・ウクライナ東部紛争へとつながっていった。

 

「アゾフ大隊」

アゾフ特殊作戦分遣隊、アゾフ分遣隊、アゾフ連隊、アゾフ大隊、または単にアゾフは、極右ネオナチとして知られる、ウクライナ内務省管轄の国内軍組織である国家親衛隊に所属している組織である。

2014年3月に制定された国家親衛隊法によりウクライナ国内軍を改編して創設された。

現在は、ウクライナ国家親衛隊の東部作戦地域司令部第12特務旅団所属のアゾフ特殊作戦分遣隊(通称: アゾフ連隊)となっているアゾフ海沿岸地域のマリウポリを拠点とする

国家親衛隊の任務は、国民の生命と財産の保護、治安維持、対テロ、重要施設防護等を主な任務とし、ウクライナ軍と協力しての軍事作戦による武力侵略の撃退、領土防衛等も実施する事となっている。

2014年5月の創設当初は義勇兵部隊であったものの、ドンバス戦争で対親露派・分離主義者の戦闘で名をあげドンバス危機以降の11月からは、国家警備隊として機能するようになった

義勇兵は黒い制服を着用することがあり、それ故「メン・イン・ブラック」(ロシア連邦側の武装集団「リトル・グリーンメン」に対抗したもの)という異名を持つ。

初代司令官は社会民族会議の共同設立者でもあるアンドリー・ビレツキー

 

「ウクライナ紛争 (2014年-)」

ウクライナ紛争:2014年に発生した尊厳革命(マイダン革命、ウクライナ騒乱)後、クリミア半島クリミア自治共和国)とウクライナ本土のドンバス地方(ドネツィク州ルハーンシク州)で起こった2014年クリミア危機

およびウクライナ軍と、親露派武装勢力や反ウクライナ政府組織、ロシア連邦政府との紛争(軍事衝突や対立)である。

2021年秋にはロシアがウクライナ国境への軍の集結を開始し(ロシア・ウクライナ危機)、

2022年2月24日にはロシアがウクライナに侵攻した(現在進行中)。

 

 

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